伊勢龍の閉店2019年04月30日

前回は築地の移転のことをお話しました。
その理由は、実は、私の商売の原点となった店、「伊勢龍」が廃業することにしたと聞いたからです。

1955年、伊勢龍に就職した私は、4年間、8人分の食事を1日3食、つくり続けました。8人というのは、おやじさん、おかみさん、働く人は格上から順に、しんちゃん(高崎出身)、みっちゃん(金沢出身)、だっちゃん(名古屋出身)、こーちゃん、おやじさんの次男の省ちゃん、そして私です。その内の半分は亡くなり、二人は不明、省ちゃんとは今でも連絡が取れます。

よく話すことですが、就職した時には「食事づくりは新人が来るまで」と言われたものの、私が就職した後に世間全体では「就職難」が「求人難」に変わってしまいました。だから私の食事づくりは続いたのです。

その初めの頃、私はご飯を炊くのに苦労しました。一升炊きの釜にぎりぎりまでお米と水を入れて炊きますが、その足元はかまどではなく裸火のガスバーナー、すきま風でも吹くものなら三段めしになってしまいます。三段めしというのは、釜の中での米の環流がよくないために下が焦げ、真ん中は普通、上は炊け不足で固くなってしまうご飯炊きの失敗です。炊き始めの頃、私が炊いて何度か三段めしにしてしまうことがありましたが、おやじさんは「いいよ、平気だよ」と言って、ご飯の上に新聞紙を敷いて炭を拡げてふたをしてしばらく置き、焦げ臭さが減るようにしてくれたのです。私はそれが申し訳なくて、ダンボールで囲いをしたりしているうちに何とかうまく炊けるようになりました。その時のおやじさんの優しい見守りが今でも忘れられません。

先日、伊勢龍に行ってきました。木造の骨組みがしっかりしているので、2階も3階もそのままでした。
私達がベッドとして使っていた壁際の木造りの柵もそのまましっかり残っていました。おやじさんの別の子どもたちが店をやっていて、お客さんとのやりとりの言葉も店舗も築地そのままでした。

私が築地にいたのは60年前のこと、築地での4年間の生活全てが私の今日の基礎を作ってくれました。
メモの紙には裏紙を使うのは当たり前、輪ゴムは洗って使う、曲がったくぎは伸ばして使う、おやじさんの節約が思い出されます。人は誰に出会うかでその一生が決まるものだと、今日、改めて実感しています。
おやじさんと築地の皆さん、本当にありがとうございました。

高岡店オープン2019年04月22日

富山県に3番目の「高倉町珈琲」、高岡店がオープンしました。
店長と働く仲間の皆さん、おめでとう。

高岡店は、北陸地区で店を運営しているFC社の4店目の「高倉町珈琲」です。
最初の「金沢桜田」店は、先日オープンから満4年を迎えることができました。そして、一昨年には「富山飯野」店、昨年には「富山黒瀬」店がオープンしたのです。
ここまで来ることができたのは、経営者が「いい店を出してお客様に喜んでもらおう」という強い意志を持ち続けたこと、そして、店の存在がお客様に支持されるものになったからではないかと思います。

そうなると、店ばかりではなく会社としての信用力も高まります。お蔭様で高岡店では、銀行関係の方々からのご協力も今までに増して頂戴することができました。ありがとうございます。

そして、高岡店のオープン店長はフードビジネスの店長を20年ほど経験してきたベテラン店長です。
これまでの経験を活かした上で、「高倉町珈琲」の目指すべき店長として「いい人」を育てるために努力し、いい店づくりに磨きをかけてくれるものと思います。高岡店の皆さん、どうぞ一緒にいい仕事をしてください。

「きれいな店で、おいしい飲み物と料理で、親切な接客で」お客様をお迎えする、それが高倉町珈琲です。
いい仕事をすると笑顔もどんどん良くなります。働く皆さんには、大切な時間を使って、活き活きといい仕事をして欲しいのです。皆さんの笑顔があふれるいい店、楽しみにしています。

前橋店オープン2019年03月22日

今年最初の店、前橋店がオープンしました。
店長と働く仲間の皆さん、おめでとう。

私達は、昨年、高倉町珈琲の展開について、全国の15万人の人口ごとに1店つくろうと決めました。
それによると最大150店の出店が可能です。積極的にフランチャイズも進めたいと思います。
店数を増やすことが目的ではなく、「いい店」をつくってお客様のお役に立つことが目的なのです。
地域のお客様に必要とされる店づくりを、しっかりとじっくりと進めていきます。

人と人のコミュニケーションの手段が随分増えて、顔を見なくても色々なやりとりができるようになりました。
でも、私は、直接、相手の顔を見て話しをすることはますます重要になっていると思います。
思い切りおしゃべりをして、おいしいものを食べて、気持ち良く過ごして、心がすっきりし、ストレスがなくなったりすると、元気になることができるのではないかと思うのです。お客様がお店を出る時には、
「よし、がんばろう」と前向きになることができたらいいですね。

私達は、「きれいな店で、おいしい飲み物と料理で、親切な接客で」お客様をお迎えしましょう。
調理や接客の技術も毎日の努力でレベルアップします。働く皆さんには、大切な時間を使って、活き活きといい仕事をして欲しいのです。笑顔の皆さんのいい店づくりを楽しみにしています。

築地の移転2019年03月06日

築地市場が豊洲に移転して数か月が経ちました。
築地では、場内の解体が進んでいて、場外は観光客の食べ歩きや買い物を中心ににぎわっていると聞いています。
一方で、豊洲の新市場は、事業者からの話は聞いていませんが、見学者(観光客)からは、動きづらいし、不親切だということを聞きました。

私が築地に入ったのは17歳の時ですから、60年以上前のことになってしまいました。
「築地大学」での在籍は4年間足らず、1955年から58年、昭和30年代の冒頭でした。
自分が未熟な部分はありましたが、それでも、「築地が日本の『食』の中心だ」ということは、毎日、身を持って感じていたことです。

築地の移転話は、私がいた頃から何度もありました。
まずは、月島へ移転する話、これは築地の場外市場組合の反対で、なくなりました。
つぎに、築地の工事をして地下を駐車場にして地上を市場にする話、これは、場内の組合も場外の組合も進めようとしたのですが、東京都からは費用がかさむということでなくなりました。
そして、大田市場へ移転する話、これは狭くてだめでした。
昨年秋、本当に時間がかかって遅れて、やっと豊洲市場が開場したのです。

60年経つと時代が大きく変わりました。
社会の変化・経済の変化・情報の変化・物流の変化・多くのことが変わったのです。
極端な言い方をすると、築地も豊洲も「プロの商売人が減った」ように感じます。
「市場」を通さなくても、商品が産地から買い手に届く仕組みが拡がって、市場の必要性がずいぶん減ったことも一つの理由だと思います。流通のための時間もかなり短縮されました。

私は、豊洲新市場にも、今の築地の場外にも行っていませんが、移転してしまった以上、場外でのプロ相手の商売が店売りだけでやっていけるとは思えません。また、別なことですが、小池知事の築地の跡地利用についての話は言っていることがコロコロ変わるばかりでとても評判が悪いです。

築地の場外の人の話では、市場の移転後場外で商売を続けていた店のうち、先月までには数店が店を閉め、今年中には30店余りが閉店する予定だということです。「場内」と「場外」というプロ向けの店が絶妙なバランスで商売をして成り立っていたのが築地だったのだなあと、私は今、しみじみと思います。

次回は、「伊勢龍」の話をします。