随意契約による備蓄米の販売が全国に拡がったというのが先週のニュースでした。
テレビでも、夜中から並んで「やっと米が買えた」「これでご飯を食べられる」「ありがたい」「うれしい」と喜ぶ人の顔を毎日出していました。ネットでは、大臣の言葉の揚げ足を取るような批判らしいもの、卸会社を叩くこと、農家の困惑や生産者の思う適正価格など、細かいことが多く出ています。
この間に、「農水省発表の数字と生産量の違い」や「消費者の立場」という言葉が大臣やメディアから出始めたのはひとつの変化です。しかし、それだけでは前に進みません。
今は、皆で米のこと全般を知り・国全体で新しいしくみを考えて作り直していくことが必要な時期です。
1942年、今から83年前の戦時中に制定され1995年に廃止されたのが「食糧管理法」(食管法)です。
国が食糧(米や麦など)の需給と価格の安定のためにその生産・流通・消費にわたって政府が介入して供出価格や料を決定していました。戦時中の「配給」という流通しかなかった時代にできた法律です。
私は当時5才、満洲にいたので日本国内の様子は知りませんが、開拓団長の父が「開拓団が開拓している土地ではまだ収穫がなく、団員の食べる米がなくて日本に帰って何度も交渉していた」という話を聞かされましたから、本当に食べるものがなかったのだと思います。
1990年代に入り、私は数千店のレストランでお客様に食べていただく米を安くておいしくするために、米の生産・仕入・流通について県の経済連(農協の集まり)と直接取引をしました。その後、JAを経由しない米の流通がどんどん拡大したのです。築地の魚市場が豊洲に移ったのと同じ状況が起きています。
魚が漁港からスーパーに直送されているように、米も生産者から消費者に直送されている、卸売市場の場外流通量が市場を経由する量を超えているから、豊洲も店の空きが多いのです。
私が買っている米は、JAの流通に乗っていない米屋で買っているので今年の値上げは上がっても2割でした。つまり、正規の流通に乗って商売をしている米屋が、農協の持つ米が出ないので入荷ができずに潰れている、それは今の仕組みが時代に合わないから、機能していないということです。
もう、国が管理する時代ではないのです。
国は、生産者(規模・土地)に対してどんな政策を出すのか、それに注力すべきです。
生産者は、いい米をつくって消費者が喜ぶ農業をしてほしいです。
JAは、消費者と農家のためになることをしないならもういらないのです。
消費者は、正しいやり方だと思う農業・製品を応援してほしいです。
100年に一度の機会、皆で未来に向けて行動しましょう。