赤色3号2025年02月14日

先月、アメリカでは着色料の「赤色3号」の食品使用が禁止されました。
日本では、食品添加物として認可されています。
添加物の利用・輸出入の基準は、国によってまちまちです。

それで思い出したのは、60年前、食料品店をやっていた時の話です。
ひばりが丘の「ことぶき食品」は団地の向かいの小さな商店街の中にありました。
隣は豆腐屋でした。毎朝、早くから豆腐づくりをしていたのですが、ある時から、早起きして豆腐をつくるのをやめてしまったのです。「どうしたの?」と聞くと、「新しい防腐剤ができたから、今日つくったのを明日売ればいいんだ。何日ももつからもう早く起きなくていいんだ。」ということでした。今は「保存料」という言葉を使っていますが、「防腐剤」はまさに「腐らせないためのモノ」でした。

「AF2」は、豆腐や魚肉ソーセージなどの食品添加物として厚生省が1965年に認可し、1974年に認可を取り消しました。

1980年頃、私はある研究会で「西丸震哉」さんという人に会いました。
農林水産省の食料研究所官能検査検査質の初代室長だった人で、AF2を認可した責任者だったそうです。
西丸さんから聞いて強く感じたことがいくつもありました。
・水銀は、体内に入ったら死ぬまで排出することができないので、体に入れてはいけない。
・AF2が認可される前に18歳になった人は、体ができあがっているのでアレルギー体質になりにくい。
・AF2の認可後にわかったこと、AF2は殺菌作用が強すぎて体内の細胞や「善玉菌」まで殺してしまい、病原菌の増殖を防ぐことができなくなり、色々な病気にかかってしまう。私がそれで思ったのは、はここ数十年で「難病」というのが多いこと、それが気になります。

その結果の認可取り消しです。役所というのは「誰かが決めたことは、裁判などで取り上げられない限り、他の人が変えることができない」ものなんだそうです。つまりAF2の認可を他の人が取り消すことが出来ない。だから、強力過ぎることがはっきりした以上、「あれは自分が決めたことだから、自分で認可を取り消す」と、実際に自分で認可を取り消し、数年後に役人を自主退官した人です。私は、その話を聞いた時に「本当に潔い人だ」と思いました。役人でここまで凄い人は他にはいませんでしたし、それ以前に人間としてとても尊敬しました。

知らないものを世の中に送り出す時、その安全性ということへの評価は大変難しいと思います。
ですから、「国が認可していても、『安全』自体がいつどう変わるかわからない」ということを覚えておかないといけません。自分の安全は、最終的には自分で守ることがとても大切です。国に任せることではありません。

そして、私達、食に関わる人は、「食べる人の健康」をいつも基本の基本として持っていないと仕事ができません。そもそも「使う必要があるのか」を再考することが必要です。見栄えの為に、長く持たせるために、余計なものを加えないといけないものを作って売るのか、ということです。

加工品は添加物が必要なこともあるかもしれませんし、AF2に替わる保存料は今も使われています。
でも、「レストラン」では、保存料は不要で料理を完成させることができるのです。
食べる人も、これは自分が食べていいものなのかどうか、自分で決めて食べる時代です。
私達は、その助けとなる、安全なものをお届けして、安心してもらう、とても重要な仕事をしています。
終ることはありません。だから、どんどんやり続けていくのです。