やさしい社会2019年06月12日

80歳になって一年半が経ちました。体の反応が遅くなってきたなあとつくづく思います。

ずいぶんと忘れっぽくなりました。「メガネ・財布・スマホ」の三点セットを確認してから家を出ます。それでも、他に荷物があると、あっという間に何かを忘れます。
庭の水やりをしていて、蛇口を閉め忘れて水びたしにすることもありました。
ゴルフの飛距離はどんどん落ちてしまったのですが、ここしばらくはかなり頑張ったのでまた少し伸びて、スコアで負ける回数が減りました。これはうれしいことでしたが、その分、体の疲れが増えました。

でも、口数は減らず、しゃべるスピードは速くなるばかりです。これは私の元気の証拠です。
前にもお話しましたが、私が築地に入った時、おやじさんから「お前のしゃべり方と歩き方は遅い。それでは商売にならないよ。」と言われました。それからずっとしゃべるスピードをあげることに努力してきました。だから、今さらゆっくり話すことなど心がけてもとてもできないのです。おやじさんが「遅い」と言わなくなった時、それが商売人の条件をひとつ達成した時だったと思います。

おやじさんは、「いい商売をするには、速いしゃべりと歩き方が必要」ということをまず教えてくれました。そして、できるようになるまでは「遅い」「遅い」といい続けてくれました。何も言わなくなったということは「OK」という評価だったのです。褒める人ではなかったので、「叱らない」ということは私にとっての「合格通知」のようなものでした。

さて、ここでまわりを見回してみると、今の世の中には「やさしさ」が不足していると思います。
人を育てるには、「教えて」「ほめて」「叱る」ことが必要です。言われる側がうれしいこともいやなことも言ってやらないといけないのです。
それなのに、親が子に、先生が生徒に、まず「人としての基本」を教えていないように思うのです。
しなくてはいけないこと、してはいけないこと、それをしっかりと教えているでしょうか?
そして、こどもがしたことについて、「ほめる」「叱る」ことで評価をしているでしょうか?
教えないと叱ることもできません。

自分の家族に限らず、地図を見て困っている人、誰かに何かを聞きたい人、「やさしさ」が必要な場面は、手の届くところにいっぱいあります。そこでは、声をかけてみてはどうでしょうか? その様子を見た人は、何がいいことか、体感としてひとつひとつ身についていきます。

思いやりと親切、皆の「やさしい」行動で楽しくていい社会になりますね。
高倉町珈琲は、いい人が仕事をして、お客様から喜ばれるいい店を目指して、働く人が人生をかけるだけの意味のあるいい会社にしたいと思います。

伊勢龍の閉店2019年04月30日

前回は築地の移転のことをお話しました。
その理由は、実は、私の商売の原点となった店、「伊勢龍」が廃業することにしたと聞いたからです。

1955年、伊勢龍に就職した私は、4年間、8人分の食事を1日3食、つくり続けました。8人というのは、おやじさん、おかみさん、働く人は格上から順に、しんちゃん(高崎出身)、みっちゃん(金沢出身)、だっちゃん(名古屋出身)、こーちゃん、おやじさんの次男の省ちゃん、そして私です。その内の半分は亡くなり、二人は不明、省ちゃんとは今でも連絡が取れます。

よく話すことですが、就職した時には「食事づくりは新人が来るまで」と言われたものの、私が就職した後に世間全体では「就職難」が「求人難」に変わってしまいました。だから私の食事づくりは続いたのです。

その初めの頃、私はご飯を炊くのに苦労しました。一升炊きの釜にぎりぎりまでお米と水を入れて炊きますが、その足元はかまどではなく裸火のガスバーナー、すきま風でも吹くものなら三段めしになってしまいます。三段めしというのは、釜の中での米の環流がよくないために下が焦げ、真ん中は普通、上は炊け不足で固くなってしまうご飯炊きの失敗です。炊き始めの頃、私が炊いて何度か三段めしにしてしまうことがありましたが、おやじさんは「いいよ、平気だよ」と言って、ご飯の上に新聞紙を敷いて炭を拡げてふたをしてしばらく置き、焦げ臭さが減るようにしてくれたのです。私はそれが申し訳なくて、ダンボールで囲いをしたりしているうちに何とかうまく炊けるようになりました。その時のおやじさんの優しい見守りが今でも忘れられません。

先日、伊勢龍に行ってきました。木造の骨組みがしっかりしているので、2階も3階もそのままでした。
私達がベッドとして使っていた壁際の木造りの柵もそのまましっかり残っていました。おやじさんの別の子どもたちが店をやっていて、お客さんとのやりとりの言葉も店舗も築地そのままでした。

私が築地にいたのは60年前のこと、築地での4年間の生活全てが私の今日の基礎を作ってくれました。
メモの紙には裏紙を使うのは当たり前、輪ゴムは洗って使う、曲がったくぎは伸ばして使う、おやじさんの節約が思い出されます。人は誰に出会うかでその一生が決まるものだと、今日、改めて実感しています。
おやじさんと築地の皆さん、本当にありがとうございました。

築地の移転2019年03月06日

築地市場が豊洲に移転して数か月が経ちました。
築地では、場内の解体が進んでいて、場外は観光客の食べ歩きや買い物を中心ににぎわっていると聞いています。
一方で、豊洲の新市場は、事業者からの話は聞いていませんが、見学者(観光客)からは、動きづらいし、不親切だということを聞きました。

私が築地に入ったのは17歳の時ですから、60年以上前のことになってしまいました。
「築地大学」での在籍は4年間足らず、1955年から58年、昭和30年代の冒頭でした。
自分が未熟な部分はありましたが、それでも、「築地が日本の『食』の中心だ」ということは、毎日、身を持って感じていたことです。

築地の移転話は、私がいた頃から何度もありました。
まずは、月島へ移転する話、これは築地の場外市場組合の反対で、なくなりました。
つぎに、築地の工事をして地下を駐車場にして地上を市場にする話、これは、場内の組合も場外の組合も進めようとしたのですが、東京都からは費用がかさむということでなくなりました。
そして、大田市場へ移転する話、これは狭くてだめでした。
昨年秋、本当に時間がかかって遅れて、やっと豊洲市場が開場したのです。

60年経つと時代が大きく変わりました。
社会の変化・経済の変化・情報の変化・物流の変化・多くのことが変わったのです。
極端な言い方をすると、築地も豊洲も「プロの商売人が減った」ように感じます。
「市場」を通さなくても、商品が産地から買い手に届く仕組みが拡がって、市場の必要性がずいぶん減ったことも一つの理由だと思います。流通のための時間もかなり短縮されました。

私は、豊洲新市場にも、今の築地の場外にも行っていませんが、移転してしまった以上、場外でのプロ相手の商売が店売りだけでやっていけるとは思えません。また、別なことですが、小池知事の築地の跡地利用についての話は言っていることがコロコロ変わるばかりでとても評判が悪いです。

築地の場外の人の話では、市場の移転後場外で商売を続けていた店のうち、先月までには数店が店を閉め、今年中には30店余りが閉店する予定だということです。「場内」と「場外」というプロ向けの店が絶妙なバランスで商売をして成り立っていたのが築地だったのだなあと、私は今、しみじみと思います。

次回は、「伊勢龍」の話をします。

80歳の1年間2018年11月01日

昨日で80歳の1年間が終わり、本日、81歳になりました。
まずは、この1年365日無事に過ごすことができましたこと、皆様に感謝いたします。
本当にありがとうございました。

この1年を振り返ると、とても目まぐるしい毎日でした。
年が明けて春になった頃、テレビの「カンブリア宮殿」から出演の話をいただきました。初めてスタッフの方とお会いした時に、「こんな小さなチェーンで会社組織もまだしっかりしていないのにいいんですか?」と思わず聞き返したものです。しかし、結果としては「高倉町珈琲」を多くの人に知っていただく最大の媒体となりました。そして、これが会社としてのひとつの転機となりました。

また、思いがけずに日本経済新聞の「私の履歴書」掲載のお話をいただきました。一昨年、同社の「日経MJ」という新聞に「History 暮らしを越えた立役者」というコーナーの連載記事が掲載され、昨年にはそれがまとめられて単行本として発刊されました。その時の土台がありましたが、一か月間の本紙掲載というのは大きなお話でした。お蔭様で多くの方々に私のことや高倉町珈琲のことを知っていただくことができました。
私としても、80歳の区切りにあたって自分の人生を振り返り、いろいろなことを思い出したり、築地の話の頃に会社名が出たと連絡をいただいた方とお会いしたりしました。お見えになった方といっても、私が築地にいた頃には生まれていたかどうかというご年齢でした。ここでも自分で「随分前の話なんだなあ」と思いました。

そのほかにも、先のテレビや新聞をご縁に、または全然別のきっかけで、多くの方からの電話やメール、取材や面談、いろいろな方に会ってお話したりする機会をいただきました。こちらもありがとうございました。

さて、日々、感じることは「老いたなあ」ということです。
例えば、「八王子」と言っているつもりで実際には「国立」と言っていたり、ゴルフではドライバーの飛距離が短くなるばかりだったり、食べたくてもお腹に入る量が減ってしまったり、そんな肉体的なことです。

でも、「お若いですね」と言われては「やりたいことをやっているだけですから、まだ老けるわけにはいかないんです。」と答えています。今年は会社の転機、高倉町珈琲は20店にもなって、一緒に働く仲間も増えました。
これまで何度も挑戦してきたけれど、まだまだ、やりとげていない理想の店と会社づくり、そのために本日からまた毎日、努力を続けていこうと思います。これは、生きる気持ちと意志を強く持つこと、つまり人としての「いつも新鮮」です。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。