築地の移転2019年03月06日

築地市場が豊洲に移転して数か月が経ちました。
築地では、場内の解体が進んでいて、場外は観光客の食べ歩きや買い物を中心ににぎわっていると聞いています。
一方で、豊洲の新市場は、事業者からの話は聞いていませんが、見学者(観光客)からは、動きづらいし、不親切だということを聞きました。

私が築地に入ったのは17歳の時ですから、60年以上前のことになってしまいました。
「築地大学」での在籍は4年間足らず、1955年から58年、昭和30年代の冒頭でした。
自分が未熟な部分はありましたが、それでも、「築地が日本の『食』の中心だ」ということは、毎日、身を持って感じていたことです。

築地の移転話は、私がいた頃から何度もありました。
まずは、月島へ移転する話、これは築地の場外市場組合の反対で、なくなりました。
つぎに、築地の工事をして地下を駐車場にして地上を市場にする話、これは、場内の組合も場外の組合も進めようとしたのですが、東京都からは費用がかさむということでなくなりました。
そして、大田市場へ移転する話、これは狭くてだめでした。
昨年秋、本当に時間がかかって遅れて、やっと豊洲市場が開場したのです。

60年経つと時代が大きく変わりました。
社会の変化・経済の変化・情報の変化・物流の変化・多くのことが変わったのです。
極端な言い方をすると、築地も豊洲も「プロの商売人が減った」ように感じます。
「市場」を通さなくても、商品が産地から買い手に届く仕組みが拡がって、市場の必要性がずいぶん減ったことも一つの理由だと思います。流通のための時間もかなり短縮されました。

私は、豊洲新市場にも、今の築地の場外にも行っていませんが、移転してしまった以上、場外でのプロ相手の商売が店売りだけでやっていけるとは思えません。また、別なことですが、小池知事の築地の跡地利用についての話は言っていることがコロコロ変わるばかりでとても評判が悪いです。

築地の場外の人の話では、市場の移転後場外で商売を続けていた店のうち、先月までには数店が店を閉め、今年中には30店余りが閉店する予定だということです。「場内」と「場外」というプロ向けの店が絶妙なバランスで商売をして成り立っていたのが築地だったのだなあと、私は今、しみじみと思います。

次回は、「伊勢龍」の話をします。

80歳の1年間2018年11月01日

昨日で80歳の1年間が終わり、本日、81歳になりました。
まずは、この1年365日無事に過ごすことができましたこと、皆様に感謝いたします。
本当にありがとうございました。

この1年を振り返ると、とても目まぐるしい毎日でした。
年が明けて春になった頃、テレビの「カンブリア宮殿」から出演の話をいただきました。初めてスタッフの方とお会いした時に、「こんな小さなチェーンで会社組織もまだしっかりしていないのにいいんですか?」と思わず聞き返したものです。しかし、結果としては「高倉町珈琲」を多くの人に知っていただく最大の媒体となりました。そして、これが会社としてのひとつの転機となりました。

また、思いがけずに日本経済新聞の「私の履歴書」掲載のお話をいただきました。一昨年、同社の「日経MJ」という新聞に「History 暮らしを越えた立役者」というコーナーの連載記事が掲載され、昨年にはそれがまとめられて単行本として発刊されました。その時の土台がありましたが、一か月間の本紙掲載というのは大きなお話でした。お蔭様で多くの方々に私のことや高倉町珈琲のことを知っていただくことができました。
私としても、80歳の区切りにあたって自分の人生を振り返り、いろいろなことを思い出したり、築地の話の頃に会社名が出たと連絡をいただいた方とお会いしたりしました。お見えになった方といっても、私が築地にいた頃には生まれていたかどうかというご年齢でした。ここでも自分で「随分前の話なんだなあ」と思いました。

そのほかにも、先のテレビや新聞をご縁に、または全然別のきっかけで、多くの方からの電話やメール、取材や面談、いろいろな方に会ってお話したりする機会をいただきました。こちらもありがとうございました。

さて、日々、感じることは「老いたなあ」ということです。
例えば、「八王子」と言っているつもりで実際には「国立」と言っていたり、ゴルフではドライバーの飛距離が短くなるばかりだったり、食べたくてもお腹に入る量が減ってしまったり、そんな肉体的なことです。

でも、「お若いですね」と言われては「やりたいことをやっているだけですから、まだ老けるわけにはいかないんです。」と答えています。今年は会社の転機、高倉町珈琲は20店にもなって、一緒に働く仲間も増えました。
これまで何度も挑戦してきたけれど、まだまだ、やりとげていない理想の店と会社づくり、そのために本日からまた毎日、努力を続けていこうと思います。これは、生きる気持ちと意志を強く持つこと、つまり人としての「いつも新鮮」です。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。



いつも新鮮・いつも親切2018年07月25日

商売とは「売れて・喜ばれて・儲かる」ものだということは、「価値をつくる」の時にお話ししましたが、それとは別に、私の人生と商売の基本としている考え方があります。

それは、「いつも新鮮・いつも親切」ということです。
この言葉については、私はよく話をしていますが、今日は80歳の今だから感じることをお話しようと思います。「いつも新鮮」「いつも親切」どちらの言葉にも、「モノ」としてのことと「人」としてのことの二つの意味があります。

「いつも新鮮」
この言葉の「モノ」としての新鮮さ、それは「できたて、とれたて、つくりたて」ということです。お客様に何かお出しする時には、最高の状態でお届けしないといけないと思うのです。

 そして、「人」としての新鮮さ、これは言い換えると「若々しさ」です。
考え方や行動が前向きで積極的なことです。ここでは、「年齢」は全く関係ありません。
明日は何をしようか、次は何を見ようか・読もうか、今度はどこに行こうか、体が若くて十分に動きのとれる人も、動きが不自由でも関係ないのです。若いのに心が老けている人もいますし、高齢なのに心が若い人もいます。新鮮かどうかは顔を見たらわかります。


「いつも親切」
この言葉の「モノ」としての親切さ、それは「生活をもっと豊かにする提案」です。
これまでにない、新しくて知らないもの、買いやすい売り方(のり1枚・みかん1個売り)など、自分のやることが人の役に立つことを打ち出していけるかどうかです。これをやるためには「何をしたらもっと〇〇〇(便利に・快適に・楽しく・うれしく)なるか」をいつも考えていないとできません。

 「人」としての親切さ、それは「厳しい目で見守り、時には叱ること」です。
「ほめる」ことで人を成長させるのは、一番気持ち良くて順当なことです。しかし、時には「間違い」や「不出来」を指摘して叱らないといけないことがあります。
私は築地にいる時に、おやじさんからはいつも細かいことをいろいろと言われていて、何度も「このくそおやじ」と思っていたことがありました。でも、年をとってきて思うのは「叱り続けるというのは、叱られ続けることよりずっと大変なことだなあ」ということです。あんなに細かく言われ続けて身についたことが、その後の人生の土台になったと、大人になって随分経ってからやっとわかったのです。よく言い続けてくれた、それは私の将来のためには必要だと思ってくれていたからだったと思うのです。
 相手から嫌われるとしても、その人の今後のことを考えたら、言わないといけない、これは年長者の仕事なのかもしれません。ですから、「嫌がられることを承知でいて、自分のことを叱ってくれる人」はとても大切です。

社会に出る皆さんへ2018年04月01日

社会人となる皆さん、ご就職おめでとうございます。
今日は、皆さんが社会人となるにあたって、自分の人生の岐路で考えてみたらどうかと思うことをお伝えします。それは、自分の仕事は、自分の人生だということです。

また、私の昔話になりますが、よかったら読んでください。
細かい部分なのでいつも私の略歴では省略していますが、中学校の卒業は15歳、そして築地に入社したのは17歳です。実は、一度上京して就職していたことがあります。
中学校を卒業の前には学校からのあっせんで「海苔屋」への就職が決まっていたのですが、近所の人からの話で「日本一の冷蔵庫の会社に来ないか」と言われたことに興味を惹かれて先生からは怒られましたが、そちらに行ってしまったのです。
 ただ、時代は激変の頃1953年、東京オリンピックの10年ほど前、家電製品の登場です。氷を入れて冷やす木製の製造庫はあっという間にすたれてしまいました。会社自体もひどい会社で、私は体を壊したことをきっかけにやめて一旦故郷に戻りました。

 体を治しながら、いろいろと考えました。そして、私は「貧しいから家を出て仕事をして、ご飯をお腹一杯食べたい」ということしか考えていなかった、これからの自分は、どの業界に行って、どの会社を選んだらいいか、何にも考えていなかったことがわかったのです。それからまた考えて考え抜いて、「食」の仕事なら、毎日関係することだし、つぶれないだろうし、商売を身につけたら自分で独立できるだろうと、自分で行く道を決めたのです。

 当時の食の中心地、築地で仕事をしたいと思いました。つてがないことには話も聞いてもらえません。つてがあって頼んでみても断られました。それでも、どうしてもそこで仕事がしたい。頼みこんで、とにかく頼み込んで、つかんだ仕事でした。

 仕事は、「どんなことをしたいか」という業種と「どんな会社でしたいか」を自分で選んで決めることが大事です。そのためには、「業種」と「会社」の状況を把握できないといけません。どちらも、誕生期・成長期・安定期・衰退期のどのあたりにいるのか、自分で判断する必要があります。

 そして、最後に大事なことは、どんな上司かということです。でも、これは選ぶことができません。「業界」「会社」「上司」、仕事を始めてみて、このうちのどれかが自分の人生にとって明らかに違うという時には、見切りをつけることも必要です。若い皆さんにはまだまだ時間があります。自分の人生をかけるのにふさわしい仕事を見つけて、思い切り仕事をしてください。どうぞ、実り多き人生を!