「いつも新鮮、いつも親切」というのは、私が築地で商売の基本を教わり、21歳で独立 する時に決めた自分の生き方です。ささやきでは前にもお伝えしていますが、先日、まとめをしていたら説明しやすい言葉が浮かんできたので改めてお話します。
「いつも新鮮」とは、心の鮮度を保ち続ける人でいたいという「思い」です。
とれたての野菜や魚介、つくりたてでおいしい料理が喜ばれるように、どんな時にも、 心が新鮮でいきいきしている、考え方が柔軟で前向きで未来を見据えている、さわやかで てきぱきしている、新しいこと知らないことには興味を持つ、そんな人でいたいのです。
年齢のせいにしない、他人のせいにしない、自分がいい状態にあることが周りの人や周りのことにいい影響を与えると思うのです。
「いつも親切」とは、人のことを思いやって役に立つことをやり続ける「行動」です。
商売としては、お客様の困りごとを解決するために役に立つこと、毎日の生活を豊かにすることや物を提案し続けることです。
人間としては、相手の将来のために教えて育てて成長させる、間違いはしっかり指摘して正しいことができるようにと、嫌がられても叱ることができる人でいることです。
どんな商売でも一番大切なことは「人」を大切にすることです。働く人がいい仕事をするための環境をつくり、心豊かになって、自分の将来に向かって元気に過ごして欲しい、そんな会社の思いは働く人に届きます。そして、その働く人が接するお客様にも伝わります。
会社の価値は売上高でなく「質」です。いい人がいい仕事をするといい会社になります。
いい会社がひとつひとつ増えたら、気持ち良い社会が拡がると思います。
会社の規模にかかわらず、多くの会社が是非、その一社となって欲しいですね。
いつも新鮮、いつも親切 2023年09月01日
上越店オープン2023年06月30日
本日、上越店がオープンしました。
店長と働く仲間の皆さん、おめでとう。
上越店は、新潟県では新潟市の「新潟笹口店」に続く2店目の「高倉町珈琲」、全国では38店目のお店となりました。上越市の「上越ウィング」の中の専門店施設「パティオ」の敷地内に新築した独立店舗です。
パティオを運営している皆さんが埼玉県の「鶴ヶ島店」に来店し、上越で地域の皆様のために「高倉町珈琲」を作りたいという強い思いを持ち続けたことが、いいご縁となって今日につながったと思います。
高倉町珈琲は関東を中心に14都県のお店がありますが、上越店のオープンで「高倉町珈琲」という名前を初めて耳にし、初めてご来店くださる方がほとんどではないかと思います。
私は、「腹を満たすのが食堂、心も満たすのがレストラン」という区別をしています。
その考えの中では、高倉町珈琲は「レストラン」です。
「きれいな店・おいしい料理・親切な接客」を整えてお客様をお迎えし、気持ち良く・楽しく過ごしていただくのが「高倉町珈琲」なんです。
店舗効率の追求だけでは得られない、清潔な店舗、居心地の良い空間や椅子、笑顔の接客、安全な素材、おいしい珍しいメニュー、多くの要素のひとつひとつが形となって「高倉町珈琲」を「心の休憩所」として作り上げています。
お客様のご要望にお応えする、それが接客の基本です。
このお客様には、どんなことが喜んでいただけるのか、お顔を見て・お聞きして、お応えしましょう。
まずは笑顔でのお迎えです。
店長と働く仲間の皆さん、おめでとう。
上越店は、新潟県では新潟市の「新潟笹口店」に続く2店目の「高倉町珈琲」、全国では38店目のお店となりました。上越市の「上越ウィング」の中の専門店施設「パティオ」の敷地内に新築した独立店舗です。
パティオを運営している皆さんが埼玉県の「鶴ヶ島店」に来店し、上越で地域の皆様のために「高倉町珈琲」を作りたいという強い思いを持ち続けたことが、いいご縁となって今日につながったと思います。
高倉町珈琲は関東を中心に14都県のお店がありますが、上越店のオープンで「高倉町珈琲」という名前を初めて耳にし、初めてご来店くださる方がほとんどではないかと思います。
私は、「腹を満たすのが食堂、心も満たすのがレストラン」という区別をしています。
その考えの中では、高倉町珈琲は「レストラン」です。
「きれいな店・おいしい料理・親切な接客」を整えてお客様をお迎えし、気持ち良く・楽しく過ごしていただくのが「高倉町珈琲」なんです。
店舗効率の追求だけでは得られない、清潔な店舗、居心地の良い空間や椅子、笑顔の接客、安全な素材、おいしい珍しいメニュー、多くの要素のひとつひとつが形となって「高倉町珈琲」を「心の休憩所」として作り上げています。
お客様のご要望にお応えする、それが接客の基本です。
このお客様には、どんなことが喜んでいただけるのか、お顔を見て・お聞きして、お応えしましょう。
まずは笑顔でのお迎えです。
売れて・喜ばれて・儲かる2023年05月24日
これは、私が17歳から4年間、築地の食料品の卸問屋で働いていた時に社長である「おやじさん」から教わった商売の原則です。築地を離れてから60数年、独立し会社を作り上場し色々な仕事をしましたが、この原則は時代とは無関係、絶対に変わりません。
私は、小売店の店長を経て、兄弟で会社をつくり食料品店を開店しました。1960年代前半の頃です。店があったのは東京都の「ひばりが丘団地」、核家族という言葉の出始めで、どこの家も新婚さんで赤ちゃんがいるのが普通でした。その頃の成功と失敗の話があります。
成功したのは、「しらすの10g売り」や「海苔の1枚売り(バラ売り)」です。
当時、電気冷蔵庫はまだ全世帯に普及していませんでしたから、お母さんは赤ちゃんに食べさせる新鮮なしらすを毎日買いに来てくれました。普通の小売りの100gでは多いし日持ちしないので10gで割高でも売れたんです。海苔も同じでした。海苔の単位は一帖(いちじょう)といい、全形(切っていないもの)10枚、すぐに湿気てしまうし、まとめて買うには高価なものでした。そのバラ売りのきっかけは、おやじさんの「お客さんの声を聞け」という教えでした。それを実践したら売れただけ、値段が高いか安いかは問題外、欲しいのにそれまでなかったものをお店に出したから売れたんです。若いお母さんの役に立って喜ばれたことで、自分の仕事にもやりがいを感じられたし、「儲け」が出たんです。
失敗したのは「無着色のたらこ」です。当時のたらこはほとんどが「赤く着色されたたらこ」でした。私は自分なりの勉強の結果「安全のために着色しないものをつくればぜったい売れるはずだ」と思って築地で生産を依頼しました。でも、ひばりが丘の団地では全く売れませんでした。後日談ですが、水産会社が余ったたらこを銀座の有名デパートに出したところ、よく売れたそうです。それを聞いて私は「商売には、売る場所(買う人)・売り時(時代の流れの中のタイミング)・売り物の内容の見極めが必要だ」と体全体で痛感しました。
いい仕事をするといつか「儲かる」ようになります。「儲ける」ために無理をすると嘘をついてしまう危険性もあります。「いい仕事の結果として儲かる」のがとても大切なことなんです。
おやじさんが亡くなって20年余り、私は明日もこの言葉を心に仕事を続けます。
私は、小売店の店長を経て、兄弟で会社をつくり食料品店を開店しました。1960年代前半の頃です。店があったのは東京都の「ひばりが丘団地」、核家族という言葉の出始めで、どこの家も新婚さんで赤ちゃんがいるのが普通でした。その頃の成功と失敗の話があります。
成功したのは、「しらすの10g売り」や「海苔の1枚売り(バラ売り)」です。
当時、電気冷蔵庫はまだ全世帯に普及していませんでしたから、お母さんは赤ちゃんに食べさせる新鮮なしらすを毎日買いに来てくれました。普通の小売りの100gでは多いし日持ちしないので10gで割高でも売れたんです。海苔も同じでした。海苔の単位は一帖(いちじょう)といい、全形(切っていないもの)10枚、すぐに湿気てしまうし、まとめて買うには高価なものでした。そのバラ売りのきっかけは、おやじさんの「お客さんの声を聞け」という教えでした。それを実践したら売れただけ、値段が高いか安いかは問題外、欲しいのにそれまでなかったものをお店に出したから売れたんです。若いお母さんの役に立って喜ばれたことで、自分の仕事にもやりがいを感じられたし、「儲け」が出たんです。
失敗したのは「無着色のたらこ」です。当時のたらこはほとんどが「赤く着色されたたらこ」でした。私は自分なりの勉強の結果「安全のために着色しないものをつくればぜったい売れるはずだ」と思って築地で生産を依頼しました。でも、ひばりが丘の団地では全く売れませんでした。後日談ですが、水産会社が余ったたらこを銀座の有名デパートに出したところ、よく売れたそうです。それを聞いて私は「商売には、売る場所(買う人)・売り時(時代の流れの中のタイミング)・売り物の内容の見極めが必要だ」と体全体で痛感しました。
いい仕事をするといつか「儲かる」ようになります。「儲ける」ために無理をすると嘘をついてしまう危険性もあります。「いい仕事の結果として儲かる」のがとても大切なことなんです。
おやじさんが亡くなって20年余り、私は明日もこの言葉を心に仕事を続けます。
外食新時代2023年05月19日
先日、うどん店のチェーンが外食の新時代を感じさせる商品を発売しました。
その会社では、3年前の「緊急事態宣言」下では、いち早く「うどん弁当」を発売していました。
それは、外食したいけどできない状況だからその代わりとしての「実用性」のあるものでした。
そして、今回の発売ニュースの中では「外食の役割を今一度見つめ直して、食の感動体験を創造する」ことで、お客様が楽しく・わくわくするテイクアウトを実現させると説明しています。”感動テイクアウト”だそうです。
「楽しい」という言葉を久しぶりに、外食関係の場で聞きました。とてもうれしいことです。
私はこの半世紀50年間、日本の外食の仕事をしてきました。
「外食・内食・中食」という言葉を使っていた時代がありました。家で料理をするのが当り前だった「内食」、店に食べに行くのが「外食」、惣菜等を買って帰って食べるのが「中食」というイメージでした。
その後、ここ数年は、私は「日本の食は、自分で料理をするかしないか」という分け方ではないかと思って言っていた時期がありました。
今回は、海でも山でも車でもどうぞと、食べる場所や場面を選ばない、それで外食の幅が大きく拡がる可能性を感じます。お客様が食を楽しむ、そのためのお手伝いをする、多くのお店がそれを基本とすれば、日本全体が明るく楽しくなると思います。是非、皆で取り組みたいですね。
その会社では、3年前の「緊急事態宣言」下では、いち早く「うどん弁当」を発売していました。
それは、外食したいけどできない状況だからその代わりとしての「実用性」のあるものでした。
そして、今回の発売ニュースの中では「外食の役割を今一度見つめ直して、食の感動体験を創造する」ことで、お客様が楽しく・わくわくするテイクアウトを実現させると説明しています。”感動テイクアウト”だそうです。
「楽しい」という言葉を久しぶりに、外食関係の場で聞きました。とてもうれしいことです。
私はこの半世紀50年間、日本の外食の仕事をしてきました。
「外食・内食・中食」という言葉を使っていた時代がありました。家で料理をするのが当り前だった「内食」、店に食べに行くのが「外食」、惣菜等を買って帰って食べるのが「中食」というイメージでした。
その後、ここ数年は、私は「日本の食は、自分で料理をするかしないか」という分け方ではないかと思って言っていた時期がありました。
今回は、海でも山でも車でもどうぞと、食べる場所や場面を選ばない、それで外食の幅が大きく拡がる可能性を感じます。お客様が食を楽しむ、そのためのお手伝いをする、多くのお店がそれを基本とすれば、日本全体が明るく楽しくなると思います。是非、皆で取り組みたいですね。